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【書評】為末大さんの「諦める力」を要約!名言がズラッと並んだ一冊に心動かされます!

こんにちは
ぽんすけ(@info_simplify)です

今回紹介するのは為末大さんの「諦める力」!

アスリートを育てる先生、特に中学や高校の部活の先生には読んでほしい一冊
本の内容は技術の話ではなく、
スポーツキャリアに対する考え方、捉え方、進路のオプションを学生にも提案できる内容です
スポーツ一筋の人にとっては、とても視野が広がること間違いなし!

それでは為末大さんの「諦める力」をご紹介!

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はじめに

「諦める」という言葉の語源は「明らめる」
仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ
むしろポジティブなイメージ

自分の才能や能力、置かれた状況などを明らかにしてよく理解し
今、この瞬間にある自分の姿を悟る


諦めたくないから諦めた

手段を明らめることと目的を明らめることの違い

100メートルを諦めたのは、勝ちたかったから
勝つことに執着していたから、勝てないと思った100メートルを諦めた
勝つことを諦めたくないから、勝てる見込みのない100メートルを諦めて
400メートルハードルという勝てるフィールドに変えた

つまりは、自分の腹の奥底にある本心を言語化することができた

「AがやりたいからBを諦めるという選択」をしたに過ぎない

多くの人は、手段を諦めることが諦めだと思っている
だが、目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか


憧れの人は自分の延長線上にいるか?

世の中には、自分の努力次第で手の届く範囲がある
その一方で、どんなに努力しても及ばない、手の届かない範囲がある
努力することで進める方向というのは、自分の能力に見合った方向なのだ
自分とは違う別人をモデルにして
「あのひとのようになりたい」
と夢想する人は多い
そのときに気をつけなければならないのは
その人と自分の出発点がそもそもまったく違うということだ
それでも「似たタイプ」であれば
近づくことも、追い抜くことも可能だと思う
しかし、純粋な憧れだけである人を目標に努力した場合
それが自分自信の成長を阻害する要因になることもありうる

自分の憧れる存在が本当に自分の延長線上にいるかどうかということを
しっかりと見極めるのは非常に大事なことになってくる
自分とはまったく接点のない人に憧れて
自分の短所を埋めているつもりが長所ごと削り取っている人は
かなりの数に上ると思う
僕はこれを「憧れの罠」と呼んでいる

人生は可能性を減らしていく過程でもある
年齢を重ねるごとに
なれるものやできることが絞り込まれていく
可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど
何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で
どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できない状態でもあるのだ
できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる


負け戦はしない、でも戦いはやめない

戦略とは、トレードオフである
つまり、諦めとセットで考えるべきものだ
ダメなものはダメ、無理なものは無理
そう認めた上で、自分の強い部分をどのように生かして勝つかということを見極める

最高の戦略は努力が娯楽化することである
そこには苦しみやつらさという感覚はなく
純粋な楽しさがある
苦しくなければ成長できないなんてことはない
人生は楽しんでいい、そして楽しみながら生活すること自体が成功への近道

こういうことを言うと
「じゃあ、別のフィールドに移ろう」
と安易に流れる人も出てくる
さしたら努力もせずに移動を繰り返すのは、
諦めていいということを何もしなくていいことだと
解釈しているからだ
「諦めてもいい」が、「そのままでいい」にすり替わっている
僕が言いたいのは
あくまでも「手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない」ということである
言い換えれば、踏ん張ったら勝てる領域を見つけることである
踏ん張って一番になれる可能性のあるところでしか戦わない
負ける戦いはしない代わりに
一番になる戦いはやめないということだ
「どうせ私はだめだから」と、勝負をする前から努力することまで放棄するのは
単なる「逃げ」である


やめることについて考えてみよう

続けることはいいことなのか?

割り切っている人の考え方
「私はこれを好きでやっている。たぶん成功しないこともわかっている。でも、好きでやっているのだからそれでいい」

割り切っていない人の考え方
「私にはこれしかない。今以上に努力を続けていれば、いつか成功できるはずだ」

「今まで一生懸命やってきたし、続けていれば希望はある」
こう考える人は、もしかしたら自分を客観視できていないのかもしれない
一生懸命やったら見返りがある、という考え方は
犠牲の対価が成功、という勘違いを生む
すべての成功者が苦労して犠牲を払っているわけではなく
運がよかったり要領がよかったりして成功した人のほうが
実際は多いのではないだろうか

そもそも、自分は何がしたいのか
自分の思いの原点にあるものを深く掘り下げていくと
目的に向かう道が無数に見えてくる
道は一つではないが、一つしか選べない
だから、Aという道を行きたければ
Bという道は諦めるしかない
最終的に目的に到達することと
何かを諦めることはトレードオフなのだ
何一つ諦めないということは立ち止まっていることに等しい


「せっかくここまでやったんだから。」という呪縛

経済学に「サンクコスト」という考え方がある
埋没費用といって、過去に出した資金のうち、何をしても回収できない資金のことをいう

経済学では、今後の投資を決定するときに、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しないのが鉄則とされている
日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方に縛られる傾向が強い
過去の蓄積を大事にするというと聞こえはいいが
実態は過去を引きずっているにすぎないと思う

願望を希望と錯覚してズルズル続けている人は
やめ時を見失いがちだ
なぜなら、願望は確率をねじ曲げるからである
人は、成功の確率が1%しかないのに、願望に基づいたいろいろな理屈をつけることで
10%に水増しするということをやってしまいがちだ
そこには「自分だけは違う」という考え方が忍び込んでいる
母親が「うちの子にかぎって」と言い切る感覚とよく似ている


他社の願望や期待に配慮しすぎていないか?

人間が何かを選択するときに悩むのは
何を選んでいいかわからなからではない
自分にとってより大切なことが何なのか
判断がつかないから悩むのだ
①と②と③の優先順位が決まっていないと
ABCのうちから一つを選ぶという行為ができなくなる
自分を優先した選択をすれば
誰かをがっかりさせる可能性もある


「飽きた」という理由でやめてもいい

日本では「やめる」「諦める」という行動の背後に
自分の能力が足りなかったという負い目や後ろめたさや敗北感を
強く持ちすぎるような気がする

自分が成功しなかったのは、その分野に合わなかっただけだ
ほかに合うフィールドがあるかもしれないから
諦めて、やめて、移動するのだ

意味を見出そうと一生懸命考えていくと
最後には意味なんてなにもないんじゃないかと思うようになった
人生は舞台の上で、僕は幻を見ている
人生は暇つぶしだと思ってから、急に自分が軽くなって
新しいことをどんどん始められるようになった
たかが人生、踊らにゃそんそん、である


ルールと締め切りは絶対に守る

人間が堕ちていくときには
そんなに大きな出来事があるわけではなく
超えてはいけない一線を
ほんの少し超えてしまった瞬間にズルズルと堕ちていく

何が勘どころなのだろうか
自分にとって一番大事なこととは、いったい何なのだろうか
これを掴むのはとても難しい
唯一の方法は、つねに自問自答していくことだけだと思う
考えるのをやめると、大事なことも大事ではないことも
いっしょくたにズルズルと後回しにしてしまいかねない


迷ったら環境を変えてみる

あるシチュエーションのなかだけで考えているかぎり
固まった思考から抜け出ることはできないけれど
シチュエーションを変えることで考え方が変わってしまう
まったく違うところに身を置くと
価値観ごと変わってしまうことはよくあることだ

別の環境を求めて移動し
新しい関係性なかに身をおいてみると考え方が変わるかもしれない
住む場所を変えたり、人間関係を変えたり、行動パターンや習慣を変えてみるのもいいかもしれない
このままいくか、やめるか、変えるかといった転機において
いったん環境を変えてできるだけ白紙状態の自分と向き合ってみるのだ

関係性を断ち切れば
それまで周囲から受けていたポジティブな評価もすべて切り捨てることになる
これはけっこうつらい
でも、諦めることは周囲から気にかけてもらえない状態に平気になるということでもある
人にかまってもらえないのは寂しいけれども
どこか気持ちがいいところもある
そのくらいの覚悟を持つことだ
やめることは、一人に耐えることと関係している
でも、やめてまた新たに何かを始めれば
そこで新たな人とつながることもできる


何を「普通」ととらえるかで人生が変わる

普通の人がトップレベルにいくには
トップレベルにたくさん触れることで
そこで常識とされることに自分が染まってしまうのが一番早い
人はすごいことをやって引き上げられるというより
「こんなの普通でしょ」と思うレベルの底上げによって引き上げられると思う
今までいた場所で、今まで一緒にいた人たちと会いながら
今までの自分ではない存在になろうとすることはとても難しい


現役を引退した僕が見たオリンピック

なぜ負けたかわからない

実際問題として、短時間で技術的な修正をするのはほとんど無理である
最後の最後は、どうやって吹っ切るか
よけいなことを考えない自分に入り込むかに尽きるのだと思う


「負けて悔しいでしょう?」と聞くのは残酷か

なぜ失敗したかを言語化しないまま舞台から去っていく


「夢がかなう」人はごくひと握り

コーチの仕事は、アスリートに「夢を追わせる」ことではなく
アスリートに「勝たせる」ことだ

「自分はどのくらいの確率で勝てる勝負をしているのか」ということを
冷静に見なければならない
なぜなら、その事実を理解したうえでの努力と
ただがむしゃらに突き進む努力とでは、内容も結果も変わってくるからだ


他人が決めたランキングに惑わされない

「勝っている状態」を定義する

「測る」とは、勝利条件の設定にほかならない
どうすれば勝ちなのかが決まって初めて戦略が生まれる
社会や人生における勝利条件として万人に共通なものはない
だから自分や組織で決めるしかない

どこまで引いて俯瞰で考えるか
どこまで大きく勝ち負けをとらえるか
このことによって、日常の勝ち負けの基準も変わってくる
そう考えると「どこで勝つか」より「何が勝ちか」をはっきりさせておくことが
自分が本当に勝ちたいフィールドでの勝利につながるのだ


積む努力、選ぶ努力

努力には、「どれだけ」がんばるか以外に
「何を」がんばるか、「どう」がんばるか
という方向性があるということだ


「俺的ランキング」でいいじゃないか

自分の自信の核になっているのは
勝ったことではなく
負けを受け入れ、そこから立ち直ったこと
勝負に負けたことくらいで傷づかなくなったことである
人生は長く勝負は無数にある
負けない工夫より、負けにふてぶてしくなるほうが最後は強い


人は万能ではなく、世の中は平等ではない

「オンリーワン」の落とし穴

自分らしさなんて、初めからあるものではない
いろいろな経験が寄せ集められることで、だんだん築き上げられていくものだ


「あなたのためを思って」には要注意

諸行無常とは
「この世のすべてのものは絶えず移り変わり消滅するもので、一刻の間も同じ状態を保つことがない。
仏教の基本的な考え方の一つで、人生のはかなさという言葉」


自分にとっての幸福とは何か

「やめてもいい」と「やめてはいけない」の間

ある心理学の実験で、子供が自発的にやっていることに報酬を与えると
モチベーションが下がることがわかった
報酬というのは、義務を果たしたことに対するご褒美だ
ご褒美がもらえなくても面白いからやっていたことが
義務として共用された瞬間につまらなくなってしまう

褒めて伸ばす
極端に条件づけが強いところで育ったアスリートは
外からの報酬や他者評価に対して
必要以上に敏感になっていく
一方、そういう条件付がないところで育ったアスリート
つまり、放ったらかされて育ったアスリートは
競技に対する遊びの部分が残っている
その遊びの部分を自分のなかで面白がりながら取り組んでいるのだ
人は、褒められたり報酬を与えられたりすることで
遊びの感覚が薄れていく
「今」に意識をおけば
じつは努力をしていること自体が報酬化している場合がある
将来の結果で報われるかどうかはわからなくても
「今が楽しい」という
その状態こそが報酬になっているのだ
皮肉なことにそのとき、楽しんでいる本人には
「努力と成功の取引をしている」という感覚がない

「得にならなくても楽しいからやりたいな」という感覚をたくさん味わうことが
自分の軸を作っていくことに繋がる
「やめてもいいんだよ」「やっても得にはならないよ」
と言われても、意に介さずにやる人に共通しているのは
他人に評価してもらわなくても幸福感が得られているということだろう


他者に対する期待値を低くする

距離を置くというのは
仲良くならないということではない
期待しない、同調しないということだ

「人間だから、間違えることもある」
「どんなに優秀な人でも、わからないこともある」

こういうところを出発点にしていれば
想定外のことが起きたり
自分の思い通りにいかないことが起こった場合に
相手を責める心境にはならないはずだ
自ら、「じゃあ、どうすればいいんだ」と考えることができる

「この実態をどうやったらうまく切り抜けられるか」
ということを冷静に考えたほうが
ものごとが好転する確率は高くなる


モビリティを確保する

最初は「守り」のつもりで持ち物も人間関係も必要なものだけに
ギュッと圧縮してみたら、逆に選択肢が広がった


おわりに

僕は人生において
「ベストの選択」なんていうものはなくて
あるのは「ベターな選択」だけだと思う
誰が見ても「ベスト」と思われる選択肢がどこかにあるわけではなく
他の比べて自分により合う「ベター」なものを選び続けていくうちに
「これでいいのだ」という納得感が生まれてくるものだと思う